『罪と罰』 ~吉本興業事件から学ぶべきこと~

ちょっと気になる話/役立つ話

みなさんこんにちは。みなちかです。

現在、吉本興業の社長の会見を聞きながらこのブログを書いています。

見ている人達みんな思ってるとは思いますけど、ひどい会見ですね。この人が吉本興業という大会社の社長であるわけですから、社員やそこに所属しているタレント達は大変です。朝のニュースでタレントの加藤さんがスッキリで『上層部を刷新しないとどうしようもない』と言ってたことがよくわかりました。社長これから頑張りましょうw

『罪と罰』 ~吉本興業事件から学ぶべきこと~

『罪と罰』

『罪と罰』という小説があります。

筆者はロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの長編小説で代表作ですね。主人公は、

・「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」

・「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」

というちょっと危ない思考を持っています。要は『選ばれた人』は『罪を犯したとしても罰を受ける必要は無い』という考えですね。実際、本の中で主人公は大金持ちの老婆を殺し(罪)、その老婆のお金を孤児院に寄付(善行)をしようとします。

しかし、偶然居合わせたその老婆の妹も殺害してしまい、徐々に自分の『罪』に苦悩するようになります。その後、とある娼婦に出会い、家族のためにつくす徹底された自己犠牲の生き方に心を動かされ最終的に主人公は自害するといった内容です。

この本の中で、『人が苦悩することは正しいこと』『罪を犯したら相応の罰を受けなければならないということ』また『罰を受けることで 罪から人は立ち直れるということ』が書かれています。

吉本興業事件から学ぶべきこと

罪の度合いにもよりますが法治国家において罪を犯したら罰を受けるのは当然です。殺人など一部の犯罪を除けば罰を受けることによって公正できる。…場合があります。

再犯も十分あるのですべての罪が公正可能とはもちろん言えませんが、吉本興業の今回のケースは公正可能にあたりそうだと個人的には思います。

反社会的勢力(詐欺集団)から金銭を受け取り、さらにそれを受け取っていないと嘘をついていた宮迫さん達は当然重大な『罪』があります。しかし今回の報道や記者会見、納税、寄付などを通じて、すでに『罰』は十分受けたような気がします。

今日の社長の記者会見を見ていて思ったのは、『社長がパワハラ発言を言ったのか言わないのか』という部分にかなり焦点が置かれているような気がしました。テレビ局もそういう部分を突っ込んだ方がニュースになるんでしょうけれど、その話を突き詰めたところで結局言った、言わないの話になってしまうのは明らかです。

一番に吉本が会社として行わなければならないのは、こういう事態を所属タレントが引き起こした事実に対する謝罪と社会貢献ではないでしょうか。

そしてそれに対するアイディアだったり計画だったり、『お笑い』を作っている会社であるならばやるべきこと、用意するべきことが別にあるような気がします。

『悪かった、ダメだったから直します』『ミーティングしていきます』だけでは誰も納得しませんね。詐欺にあった方たちの多くが例えば老人であるならば、全国の老人ホームを無料で回っていくとか。個人的にはそんな明るい話も欲しかったですね。

私達はこの会見を通して、罪を犯した人達が どのような償いをしていけばよいのか、それを考える1つのきっかけになったような気がします。

罪を憎んで人を憎まず

昔からよく言われていることです。

人間ですから時には魔が差すこともあるかもしれません。

理性を四六時中保つことの難しさとそれを保てなくなった時にどうなるかを多くの大人達は理解しています。犯罪行為に手を染めることは言語道断ですが、犯罪を犯してしまった人の中には改心できる人もいることも確かです。

やってしまったことを無きものにはできません。罪を犯したことをしっかりと反省し、償い、新しい生き方を見つけることこそ人間社会のあるべき姿だと思います。

そして、それを受け入れる社会作りもまた必要なのかもしれません。

今は犯罪者であればSNSでめちゃくちゃに叩かれます。

犯人を叩くより先に、そういう犯罪者が出ないような技術なり、提案なり、教育なり、社会保障なりを準備できていない社会を叩くことも必要かもしれません。

色々なことを考えることが出来た重要な一件だったと個人的には感じます。

では、また。

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